2011年4月21日木曜日

臨書について 大坪籃海

書の表現に必要なテクニックを学ぶ、ということに関しては、中国の書は、誰の場合でもそれだけのことを示していて学ぶに事欠かない。なかでも王鐸は近代書とは何かを教えてくれる重要な作家の一人といえる。
ただし、原理的な意味からいえば、いうまでもなく王義之である。書の表現に必要なテクニックを学ぶ、という学習方法を古来より「古典の臨書」と言っている。書の場合、この方法以外に何らの方法はない。
そこで、臨書という学習は、己のために行う学習であって、人に見せたり、人のものと競ったりするものではない。臨書という学習は、己自信のために行うものであるから、アトリエなり自分の書斎のなかで、人知れず行うものである。
初心の間、一時的に指導してもらうということは必要であるが、ある時期になれば、人に指導してもらうという方法は決していいことではない。何故なら、原本が目の前にあるわけだから、自分がかいたものと、その原本との違いを、自分のめで比較検討すればよい。自分のめで、原本と比較検討して、その相違するところを、自分のめで発見する、その時、その人のめは更に、そのふかくを、具体的に知り、分かる、ことになる。そういう学習を積み重ね、少しずつ少しずつ行っていってそこではじめて本当の自分のめが見えるようになり分かるようになっていくのである。

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